少しでも健康になれればとはじめたヨガ。
Bhakti Flow Yoga(バクティフローヨガ)と出会い、妻がDVDを購入してくれたのが今年3月。

それからほぼ毎日、いまでは朝と夜に1回ずつ行うのが夫婦の日課です。
毎日バクティフローヨガを続けてみて感じたこと。
今回も度々記事にするスピリチュアルな内容ですので、苦手な人は閉じてください。
※素人がバクティフローヨガを日課にして感じた記録ですので、あらかじめご了解ください。
まずバクティフローヨガとは何か、こちらでご確認ください。
バクティフローヨガのDVDはほぼ1時間、Mao先生の動きを真似て体を動かします。アクティブな動きというよりは、呼吸、感謝の気持ちを重視したもので、体のほぐれと同時に優しく穏やかな気持ちになれる内容です。
忙しい現代人はぜひ試して欲しい

老若男女問わず、なにかと忙しいすべての現代人にバクティフローヨガを実践してみて欲しいと思います。呼吸が整い、疲労が緩和します。
私は特に、うつ病になった人こそ、このバクティフローヨガで得られる効能は大きいと感じます。
私の身体的特徴ですが、うつ病になってから体質が変わり、日中は目の焦点が合わなくなったり、極度に疲労感(体の痛み)を感じるようになりました。現在も病院を定期受診しています。
うつ病は病院では治せないんですよね。薬を処方してくれるくらいです。
でも私は、「処方薬という杖」をついて歩きたくないのが素直な気持ちです。医師にもそう伝えています。
だからといって、医師にはどうすることもできません。
バクティフローヨガは薬の代わり

料理をする人はわかると思うのですが、魚でも野菜でも、よく味が染み込むように包丁を入れますよね。
そのようなイメージで、うつ病になってから私の体は外側も内側も包丁で切られたような状態になりました。活動したり、時間が経過すると傷口が広がり出血しているような痛みが走ります。
「疲れやすい」というのは一般的な「疲労」とは異なり、“痛みを我慢すること”に疲れてしまう。痛みを我慢しすぎると、実際に口の中で血の味がします。我慢し続けると急に体のコントロールができなくなり、呼吸も満足にできなくなってしまいます。
悔しいことに、薬を飲むか、目を閉じて横になるかをすれば、傷口が閉じていきます。
ところが、薬を飲む、目を閉じて横になる、どちらかしか対処方がなかった傷口の塞ぎ方ですが、バクティフローヨガを行うと、開いた傷口が閉じていく感覚になります。
毎回疑似的に“死ねる”

バクティフローヨガDVDの構成もよくできていて、ウォーミングアップからはじまり、動きの名称ですが、キャットストレッチ、バクティ礼拝、羽ばたく戦士、女神のスクワット、バランス、鳩、前屈、後屈、橋、クールダウン、シャバアーサナという流れで進行します。
最初の数ヶ月は、序盤で体を少しずつほぐし、途中で少しダイナミックな動きがあり、後半クールダウンする、という認識で捉えていました。それでも十分気持ちがよく、先述の通り“開いた傷口が閉じる”感覚が得られました。
ところがある時から、バクティフローヨガは人生の縮図なのかもしれないと感じるようになりました。
ウォーミングアップや四つ這いの動きのある序盤は、生後~幼少期、羽ばたく戦士や女神のスクワットなどダイナミックな動きのある中盤は、思春期~青年期、バランスや前屈、後屈あたりの後半は、中年期~初老期、そしてクールダウンやシャバアーサナ(安らぎのポーズ)は死を表しているのではないかと感じるのです。
そして何度でも“よみがえる”

バクティフローヨガは人間の一生を体現しているのかもしれない、そう思ってからは、毎回ではありませんが、ヨガをする度に自分の人生のステージに想いを馳せるようになりました(本当は雑念を持たずヨガに集中すべきとわかりつつ)。
序盤では幼少期の記憶を、動きに合わせて思春期、青年期の記憶を辿り、現在は「バランス」あたりなのかと想いを巡らせるように。
勝手な解釈ですが、終盤のクールダウンや安らぎのポーズで、私は疑似的に“死んで”います。そしてすっきりした顔でまた活動します。
そう考えると、時間的な長さこそ違え、“人生も1回のバクティフローヨガのようなもの”と感じるようになりました。
喜怒哀楽や一喜一憂することの多い人生ですが、振り返れば大したことのない出来事の1つ2つ、皆さんにもあるのではないでしょうか。
人生というものは幼少期には幼少期の悩み、青年期には青年期の悩み、中年期、老年期、それぞれのステージに悩みがあり、それらを真に受けると辛い出来事でも、「1回のバクティフローヨガをしているようなもの」であるとすれば、“死”すらも実はたいしたことではないのでは?と思うのです。シャバアーサナ(安らぎのポーズ)を経て、すっきりした顔でまた次の活動がはじまるように。
まとめ
以上がうつ病経験者が9ヶ月バクティフローヨガを実践してみて得られた感覚です。
ヨガの歴史や、基礎的、専門的な知識のない素人が実践して得た感覚なので根拠はありませんが、どこかで誰かの参考になれば幸いです。
死にフォーカスして生きるわけではなく、必要以上に死を身近に感じることもないと思います。
しかし、誰にでも訪れる死。
日頃から疑似的に死ぬことができれば、“バランスの良いポジティブな思考”で日常生活が営めると思います。
そういったツールのひとつとして、バクティフローヨガに出会えたことに感謝しています。
世知辛い時代ですが、皆さんの人生に幸多きことを願い、これをまとめとします。
