「うつ病ですね」と診察室で言われたときは「そうですか…」と、目を閉じて答えました。どうにもならない身体に疲れ、動揺する余裕もなく、呼吸をするだけで精一杯でした。
それまでは「うつ病」になる人はどこかにその素養があって、自分は無関係だと根拠もなく信じ込んでいただけに、うつ病だと診断されたことにショックを受けました。

収穫の方が大きかった
発病初期の近眼的思考では身体的症状と、うつ病の烙印に苦しみました。
しかし時間を要しましたが、経過とともに自らの存在の捉え方が徐々に変化していきました。カメラで例えると、ぼやけたレンズのピントをゆっくりと調整していく感覚です。
私がうつ病になって以前よりも強くなれたと感じること
- 四人称の視点で観察できるようなったこと
- 相談に深みが出たこと
- 小さな存在であると自覚できたこと
それらを実体験に基づき記述します。
うつ病になったことで強くなれたと言えば誤解を招きそうで表現に気を遣いますが、身体面に限って言えば発症前と発症後では極端に疲れやすく、弱くなりました。発病して2年ほど経過した現在でも呼吸が乱れて整えることが精一杯になり、どうにも目の焦点が合わないとき(そういったときは乱れた呼吸を整えることに集中していることが多い)、身体中が痛いとき(出血しているように感じる)、その痛みに我慢し傷口が広がらないように意識しなければならないとき、そんなことが日に何度もあります。
つまり、身体的には発症前と雲泥の差で弱くなりました。
それでも、立ち上がる過程で得られた気づきや思考は、身体的な負を上回る収穫だと感じています。

四人称の視点で観察できるようなった
この表現が適切か不明ですが、病床から起き上がる過程で「四人称の視点」で観察できるようになりました。「私は」「私が」「あなたは」「彼は」「皆は」、それらの世界を俯瞰して捉える四人称の視点。
そこには現在の「私」も、華々しく活躍し羨ましく見える「彼ら」も、むしろそれらの「生」も「死」も関係なく(関心なく)ただ俯瞰して観察している目。
その視点に立つと、自らの状態に一喜一憂して過ごすことに何の意味もありません。今後の与えられた時間を嘆いて過ごしたければ嘆けば良いし、些細なことでも喜びを感じて微笑ましく過ごしたければそうすれば良い。どちらの生き方もジャッジはされず、ただ観察されているだけ。肯定も否定もされない。「四人称の視点」からはどちらも大差のないこと。
それならば、喜びを感じて嬉しそうに過ごせば良いのではないかと思うのです。

「以前はもっとエネルギッシュだった」「現在は身体的ハンディがつらい」、内向きな「私は」「私が」という一人称だとそれらにこだわりがちですが、そんなことに意味などなくなる、それが「四人称の視点」です。
それと同時に、自分自身の身体と二人称で向き合えるようにもなりました。両腕で両膝を抱え、おでこを膝に当てて「ありがとう」と感謝の気持ちや、「大好きだよ」と前向きな言葉を自分自身の身体に話しかけるようになりました。すると不思議とそれに応えようと返事をしてくれるような感覚になります。もっとも身近で長い付き合いの自分自身の身体にねぎらいの言葉をかける習慣は、今後も続けていきたいと感じています。
こういった感覚は、うつ病になるまで知り得ませんでした。
相談に深みが出た
うつ病が発症する以前にも、種々多用に痛みを抱えた人の相談を受けることがありました。
しかしそれまでの相談支援は、どこか場当たり的なものでした。発病後は、相談を傾聴して受容できるようになりました。発言する際も、「私の場合」と実体験をもと対話ができるようになり、苦しむ人やその家族との理解と関わり方が深まりました。
性質は異なっても、深淵を覗くことで見た景色は、苦しみを抱えた人と向き合う相談の中で生きています。

小さな存在であると自覚できた
従来の自分は根拠もなく「自分ならできる」「自分は違う」などと、潜在的に特別視していたことを認めざるを得ません。傲慢であったことを認めます。そう信じたかったのでしょう。
しかし発病し、糸が切れて動かなくなった人形のような身体で自分を見つめることで、自分の「小ささ」に気がつきました。これは謙遜して言っているのでも、卑屈になっているのでもありません。挫折したとはまた違います。素直に大きいことはできない。真にそう自覚することができました。
自分を大きく見ると欲も悩みも大きくなります。自分の小ささを認めることで、これまで感じなかった幸福を感じるようになりました。自分にできることは少ない。木々やその他の生命、物質となんら違いはない。特別視するのをやめて、見栄も妬みも捨てる。健康だろうと病気だろうと、ハンディがあろうとなかろうと、そんなことはどうでもいい。そう思うようになれたことも、大切な気づきでした。

まさに人間万事塞翁が馬
今回はスピリチュアルな内容でしたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。
以上がうつ病になってから立ち上がる過程で「強くなれた」と感じたことについてです。
もしこの記事を読まれている方の中にうつ病で苦しむ人がいれば、きっとあなたの苦しみは誰かの助けになることでしょう。私も可能な範囲でブログや執筆を続けていると、有難いことに出版のお声掛けをいただくことがありました。
もし生まれ変わって再びこの人生を繰り返すことができるなら、私は躊躇わずにもう一度この人生を希望します。
たとえ同じ失敗、苦しみが待っていようと、そこから学び、気づき、すべてを肯定できるこの人生をもう一度繰り返したい。
あなたにも同じように、何度生まれ変わっても自分の人生を選択したいと思える心境になっていただけることを願います。
