ベーシック・インカムと映画「パラサイト 半地下の家族」
昨年公開され賞レースを席巻し注目された韓国映画「パラサイト 半地下の家族」。
同じく昨年菅総理のブレーンである竹中平蔵・パソナグループ会長が提唱して注目された「ベーシック・インカム」。
長くソーシャルワークを実践する身から感じることは、以前NHKで放送された姜尚中さんの「愛の政治学」という考えに着目してしまいます。
回避できた「半地下の家族」の悲劇
映画を視聴されていない人のためにも詳細は伏せますが、映画の終盤に悲劇が起きます。
この映画は実際の格差社会をユーモラスかつショッキングに描写したことが多くの人の心を動かしました。私もそのひとりです。
この映画の登場人物すべてに曲がりなりにも「愛」があります。
富裕層の家族にも、半地下に暮らす家族にも、その他の登場人物にも優しさがあり、「愛」を感じることができます。
格差を感じながらもウィットに、逞しく生きる半地下の家族。その家族が映画の終盤に招いた事件、それは紛れもなく加害者が突発的に起こした事件ではあります。
しかしそれは、本当にその家族が加害者なのでしょうか。社会が悲劇の引き金を引いたとは言えないでしょうか。
繰り返しますがこの映画の登場人物すべてに曲がりなりにも「愛」や「優しさ」を持っています。極悪人は登場しません。それだけに、私は政治学に着目してしまうのです。
姜尚中の「愛の政治学」
ずいぶんと前ですが、お笑いコンビの爆笑問題と政治学者の姜尚中さんがNHKで対談していました。
そこで姜さんは確かこう言いました。(大きな殺傷事件が起き)「死にたければ一人で死ねという風な政治がもしあるとすれば、それは政治ではない。」

大きな話になりますが、民主主義の先進国で死刑制度があるのは日本とアメリカだけです。
ここで死刑制度の賛否について語るつもりはありません。
ただ、数の問題ではなく、国家が個人の生死を判断して良いのでしょうか。
「個人の尊厳」とはなんなのでしょうか。
死刑に相当することをしたのであれば当然の報いだと思う人もいるでしょう。
私も大切なひとを失うとなんらかの行動に出るでしょう。
ここで言いたいのは、その加害者を死刑にすれば問題解決ですか?と言う問いです。
第二、第三の加害者が続くようであれば、悲劇は繰り返すのではないでしょうか。
それではあまりに被害者や遺族がいたたまれません。
その悲劇を生み出さない社会にしなければならない。それこそが政治の役割だと思うのです。
ベーシック・インカムがもたらす平等
ベーシック・インカム(basic income)とは、政府がすべての国民に最低生活費を無条件で定期的に支給するという構想です。詳しくはこちらも参照してみてください。
私はリーマンショック以降からその必然性を感じていました。
コロナショックによる緊急事態、次世代通信技術や飛躍的なAIの進歩により失職者が増え、マイナンバーカードも普及し、開始できる条件は整っています。
しかし国民の同意という意味ではまだまだ道は険しいでしょう。
何より、このベーシック・インカムを断行するかどうかの舵取りをするのは政治家です。
それは複雑化した社会保障のトップに居座る天下り先のポジションを失くすことを意味します。
現役政治家に、政治家OBが居座るポジションを切るという行為ができるでしょうか。
無事に政治生命を終えた暁には、自分もそのポジションに移りたいと考えている政治家も一定数はいるでしょう。
ベーシック・インカムが開始されれば、生活保護制度はなくなります。雇用保険(失業給付)もなくなります。
父子、母子手当等、各種手当も、一人ひとりに最低生活費が支給されるため必要なくなります。それらの窓口、携わる職員も必要なくなります。
ベーシック・インカム是非の論点は財源ではない
ベーシック・インカムの議論になると必ず出る財源の問題。
結論として、財源はあります。複数の経済学者や専門家がその確保に向けた試算を出しています。ここでは財源についての詳細は割愛しますが、7万円/月(未成年は5万円/月)を無条件で国民に毎月支給するためには約100兆円が必要とされていますが、所得税を30%に上げ、上記の生活保護制度等を廃止にすることで確保することができます。
つまり問題は財源の問題ではなく、やるか、やらないか、ということです。
アメリカではNY市長選に「ベーシック・インカム」提唱のA・ヤンさんが出馬します。
世界的に注目されるベーシック・インカム。日本は一時的な給付金に留まっていますが、これら社会保障費の補填は将来の現役世代が担うことになります。
このまま傍観しているのでは、近い将来、日本も映画「パラサイト 半地下の家族」のような家族、悲劇的な事件を招くのではないかという懸念を抱いてしまいます。
マイナンバーと紐付けた持続的な給付金こそが経済を活性化させることに繋がります。
経済の活性化も期待できますが、ベーシック・インカムは単なる所得保障ではなく、個人の尊厳を保障する権利です。これまで自由権、社会権を勝ち取ってきたものと同じように。
ベーシック・インカムがもたらす3つのメリット
①景気回復・サービス質の向上
ベーシック・インカムについて学生に問うと、「人が働かなくなる」「経済力が下がる」という意見が多く出ます。
本当にそうでしょうか。人は月に7〜8万円もらえると働くことをやめるでしょうか。
その逆です。もっと働くのです。心に余裕を持ってより良い質のサービスを提供しようと、取り組むのです。
これは長年ベーシック・インカムを唱えてきた経済学者のガイ・スタンディングさんも主唱しています。人は“報酬”だけが目的で働くわけではないということです。
過去にはだれもが、頭のおかしい、ばかげたことだと思っていたでしょう。今や知的な議論がなされているのです。もしBIがあれば、働かなくなるのではなく、もっと働くのです。このことに気がつくのはとても重要です。BIをもらえば、怠け者になるというのは事実ではありません。
そして経済効果についてはアメリカのベーシック・インカム研究班が試算したところ、アメリカ全土で1,000ドル/月支給したところ、2025年までに2.5兆ドルの経済効果があると調査報告が発表されています。
低所得者の消費が活発になり、経済が循環するというシンプルなからくりです。
日本ではコロナショックの煽りを受け、緊急事態を前に一時的な給付金が支給されました。
しかし、一時的な支給では意味はなく、恒久的な給付こそが強い経済力を築くために必要だということを考えなくてななりません。
②少子化対策
経済力を保つため、社会保障を充実するためにも現役世代の確保が重要です。
日本は少子高齢化が問題視され久しく、超高齢化社会が目前に迫っています。
さらにコロナショックの追い討ちも受け、出産を控える世帯も多いのは明白です。
そこで、コロナ禍での出産助成金などではなく、恒久的に支給されるベーシック・インカムが導入されることで経済的な不安を軽減させることができます(ベーシック・インカム目的の出産には対策が必要でしょう)。
③貧困による犯罪減少
ベーシック・インカムが導入されればすべての国民へ最低生活費が支給されるため、若者も精神的に余裕を持って本当に働きたい仕事へ就くために学び、技術を身につけることが可能です。生活保護が受けられずに餓死をする人を救うことにも繋がります(日本では5人/日餓死者が存在しています)。
以前、コンビニでパンやおにぎりを万引きし、自転車を窃盗して販売、常習犯として服役して就職活動中の若者の相談を受けたことがあります。その若者は涙を流し、「もう罪は犯したくないです」と項垂れていた姿が目に焼き付いています。
その若者は罪を犯しました。ルール違反に違いありませんが、ベーシック・インカムが施行された社会であれば、彼の犯行は防げたはずです。生きるためにやむを得ずの犯行でした。
つまり、ベーシック・インカムが導入されることでさまざまな低所得者の犯罪行為を防止する効果もあるということです。
その他、生活保護受給者とそうでない人との逆転現象も解消するでしょう。
少しでも働けば生活保護が打ち切られる、と生活保護を受給している人と、生活保護を受給せずに慎ましくも食いしばって懸命に生きる人の逆転現象のことです。前者は医療費や介護費は免除され、後者は自己負担が生じます。
まとめ
賞レースを席巻し注目された韓国映画「パラサイト 半地下の家族」は、皮肉にも近い将来の日本を示唆しているのかもしれません。
映画ではタイトルの通り、貧しい家族が裕福な家庭に次々と「寄生」していく様子が描かれていますが、インタビューで監督は格差社会の中で「寄生」ではなく「共生」していくにはどうすればいいのか考えてもらいたかったと話しています。
お互いに対する礼儀や一線を守ったときに、共生というものが可能になると思うが、金持ちや貧しい者、またはもっと貧しい者が1つの空間で絡み合うことによって、不本意にその一線を越えてしまい、それがお互いに傷を与えて、人に対する礼儀が崩壊することで、極端な悲劇に達する。
姜尚中さんの「愛の政治学」という考えに基づいて、“犯罪者を切り捨てる社会”ではなく、犯罪者を生み出さない社会を実現するための舵取りが、いま日本に求められています。
平等にチャンスが与えられ、どんな人でも努力すれば報われる社会。
すべての人が健康で文化的な生活を営める社会。
世界中が注目するベーシック・インカムも選択肢のひとつではないでしょうか。
映画の終盤に訪れる悲劇が、現実のものとならないように。